私の自己紹介文
みさきちゃんの今日のぱんみみ記を読みました。
私もそれや!(軽い)
全部は当てはまらないと思ったから(爆音はわりと大丈夫。時として不快ではある。)絶対そうとは言えないかもしれないけど、大部分は共感しました。
でも、私みたいな感性の人ばっかりだと世の中の循環が終わると思うので、自分のことはわかってもらえないことが当たり前だと思うようにしてる…そうは言いつつ、ときどき死ぬほどしんどいときがあるけども。
私が辛かったりしんどいことに対する解決法が諦めるしかないことが多いから。
いまから少しハードな内容を書くので、読むのがしんどいかもしれないから、気持ちが明るいときに読んでくださいね。
私の場合、この性格は家庭環境が大きく影響していると思っています。父が長らく鬱気味で、両親の仲が長年うまくいってませんでした。
父はお風呂で死のうとしたことがあります。母の力では止められなくて、両親と同業の近所に住むおじさんが急いでうちに来てくれて父を力づくで止めてくれました。
おじさんは父をなだめて、父が眠りにつくまで見守ってくれました。私の高校受験前でした。文字通り丸裸の父が他人に介抱されていて、ドラマでも見たことないようなショックな光景だったから鮮明に思い出せる。
父の辛い気持ち、仕事から逃れたい気持ちも理解ができたし、母のそれに対する苛立ちや悲しみも理解できた。
私は2人の板挟みになってしまいました。父にも母にも嫌な思いはしてほしくなかった。でも私はどうすることもできませんでした。
特に父親とはいつしかほとんど会話をかわさなくなってしまって、私は自然と母親の吐き出す愚痴を聞く係になっていました。ただ、母親の愚痴を受け流せるほど私も強くなく、心にもやもやとした腫瘍を成長させながらも母親にこれ以上しんどい思いもさせたくない、私が聞いてあげないと母は潰れてしまう、とプレッシャーを感じていました。
父親に対してはいわゆる「思春期の女子」の態度を取るしかできなくて、父には理解者がいなくて苦しんでいることがわかっているのに、私は何もしてあげられなくて、頭ではわかっているのに行動が伴わなくて、辛い。
思うように立ち振る舞えない自分を責めてしまいました。
物心つきだした小学校の3、4年生〜家を出る25歳まではアップダウンはあれど家族がそんな状況で、超暗黒期でした。15年間くらい。長かった。
その間はあんまり生きてる心地がしなかった。ずーっと暗いトンネルの中を歩き続けなければいけないような絶望感がありました。
そんなに最悪な関係なのに、両親とも自営業で花屋を営んでお店でもずっと一緒だったという…というかその環境が、二人の関係性をますます悪化させてたんです。
私が高校1年生のときに2店舗目ができて、父と母が別々の店で働けるようになってから少し関係は改善されました。
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家族の話は話し出したらキリがないのでもう止めるけど、こういう環境に育つと、自分の気持ちはさておき、相手の気持ち、相手が関わるそのまた相手の気持ち、と想像を膨らませるクセがついてしまう。
先回りして想像しすぎて、蓋を開けてみると相手はそこまで気にしてなくて取り越し苦労をすることもしばしば。
おこがましいけどあえてこの言い方をすると、人のことがわかりすぎて、自分の本音が言えなくなって形成されたのが私です。
振り絞って本音を言ったときに返ってくる言葉にも異常に心を揺さぶられてしまうので、そのストレスが怖くてなかなか言えない。
30歳になって今少しずつ、せめて大事な人には本音を言えるように日々リハビリ中です。
なかなか成果はあげられていないかもしれないけど、その姿勢でいることを投げ出さないようにはしたいです。
家族の間であったことをなかったことにはできないけど、自分の心を支配するのは自分だと思うから、この先もずっと自分の性格を家族のせいにしていてはいけないなとは思う。
でも人に、前向きになれ、とか言われるのは本当に嫌!
私の辛さは私にしかわからないでしょう?
だから私も辛かったり、落ち込んでる人に対して根性論や正論をかざすことを人一倍好んでないと思います。人五倍くらいかも…
誰かの辛いこと、苦しいことにはできるだけ寄り添う存在でありたいって思ってしまう。
たとえその人の為にならないかもしれなくても。
ところで、帰国したら久しぶりに実家で暮らすことになります。正直怖い。どうなることでしょう。